バイアウト計画中に解雇されるもライバル会社を立ち上げて成功したワイン販売会社社長の話

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ローワン・ゴームリーさんは南アフリカ共和国出身で、10代のときにワインに興味を持ち始めました。

 

しかしワイン販売業に携わるのは30代後半になってからで、それまでの約20年間はファイナンスの仕事に従事していました。

 

ケープタウンの大学に進学し、その後会計士として経験を積んだ後、20代半ばでイギリスに移住しました。

 

プライベートエクイティで7年間働き、その後リチャード・ブランソンのヴァージングループに入社します。

 

ブランソン氏にファイナンシャル・サービスに乗り出すことを提案したのはこのゴームリーさんでした。

 

その結果、1995年にヴァージン・マネーが誕生しています。

 

その5年後、ゴームリーさんは新たに「ヴァージン・ワイン」というアイデアを出しました。

 

当時はまだインターネット販売が普及し始めたばかりだったため、ネットでのワイン販売に可能性を見出していたのです。

 

「このアイデアをヴァージンのお偉方に提示ましたが、彼らはあまり乗り気ではありませんでした。そこで私は兄弟や友人とともにワインの販売を夜と週末にだけやり始めたのです。ネットでワインを売るというビジネスが成り立つことを証明するためです」

 

その6か月後、ヴァージン・ワインは誕生していました。

 

ドットコム典型の失敗経験

しかし、このヴァージン・ワインは開始直後に「ドットコムの典型的な失敗」を犯してしまいます。

 

「すべてを誤ってしまったのです。ロンドンに豪華な本社を用意し、大型のITオフィスをつくり、大々的なキャンペーンを打ち出しましたが、結局何も機能しなかったのです」

 

ヴァージン・ワインが生き延びるためには従業員を9割カットしなくてはいけなくなりました。

 

そして一地方のオフィスに移転して、また底辺からやり直すことになったのです。

 

経費削減に加え、スーパーマーケットで買える有名ブランドのワインではなく、小規模生産者の人気の出そうなワインに特化して販売することで、この会社の業績を好転させました。

 

ヴァージン・ワインが黒字会社になると、この企業は「ダイレクト・ワイン」という同じイギリスの会社に買収されました。2005年のことです。

 

しかしその3年後でした。ゴームリーさんはこのヴァージン・ワインから解雇されてしまうのです。

 

突然の解雇劇、そして復活

2008年、ゴームリーさんは親会社であるダイレクト・ワインからヴァージン・ワインを買戻すマネジメント・バイアウトを行おうとしていました。

 

「ミーティング中に呼び出されたんです。バイアウト価格の話だろうと思いました。しかし行ってみると、テーブル越しに手紙を渡され、そこに貴殿を解雇すると書かれていたんです」

 

「私はすぐに部屋を出て、会社から貸与されている携帯電話をかけようとしましたが、この電話が使用できなくなっていました。私がミーティングに出ているあいだにブロックされていたんです」

 

これでヴァージン・ワインの買戻しが不可能になったことを認識したゴームリーさんは、その代わりにライバルビジネスを立ち上げることにしました。

 

しかし、自分といっしょにヴァージン・ワインを離れて新会社の設立に加わってくれる仲間を連れだすために、大急ぎで元同僚たちに声をかけなくてはいけません。

 

「私は会社を出て、向かいにある携帯ショップに行き、新しい電話を買いました。そしてヴァージン・ワイン内の同僚に電話すると、“一団の人たちがやってきて、今後ゴームリーさんとはしゃべらないという内容の誓約書にサインさせようとしているんだ”と言われました」

 

「私は彼に17人の仲間の名前を伝え、彼らに誓約書にサインしないよう伝えてくれと頼みました」

 

その結果、ゴームリーさんが声をかけた人たちはいっしょにヴァージン・ワインを辞め、6か月後に新会社「ネイキッド・ワイン」を立ち上げます。

 

現在ゴームリーさんはこのネイキッド・ワインともう一つのワイン販売会社「マジェスティック・ワイン」の社長を務めており、両社の年間売り上げは3億ポンドを超えています。

 

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「おそらく、ヴァージン・ワインはエゴの衝突が理由で私を解雇したのだと思います。しかし今となってみれば、あの解雇は私にとって最高の出来事だったのです。解雇されていなければネイキッド・ワインは存在しなかったし、マジェスティック・ワインもなかったのです」。

 

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