食べ物よりもおもてなしを重視 半世紀以上ハングリー精神を持ち続けるレストラン経営者
シェルドン・ファイアマンさんは1960年代、ニューヨークのグリニッジ・ビレッジを歩いているとき、朝食を提供するオールナイトのカフェをオープンする、というアイデアを思い付きました。
そして1964年にこの「ヒップ・ベーグル」をわずか500ドルの資金で開店。
その後14年間、ウッディ・アレンやバーブラ・ストライザンドといったセレブリティたちが通うようになり、その名声を確立していったのです。その成功から、ファイアマンさんはニューヨークでも抜群のレストラン経営者の地位に上り詰めました。
当時ファイアマンさんは20代。50年以上を経た現在、彼の経営する会社「Fireman Hospitality Group」はニューヨークとワシントンDCに合わせて9つのレストランを抱えています。 多くのセレブリティを常連客として迎え入れる繁盛ぶりで、2016年の一年間で6千万ドルの収益を計上しました。
リスクの高いレストラン業に進出
ファイアマンさんはニューヨークのブロンクスで育ち、レストラン業を始める前に衣類の販売業でビジネスマンとしてのキャリアを開始しました。
「衣類販売業の世界にはメンターがいなかった。しかし人生で成功するのをゆっくり待っているわけにはいかなかったのだ」
待ってられないというこの気持ちから、彼はリスクの高い業界に目を向けることになります。
アメリカでは約60%のレストランが開店から3年で廃業してしまうなかで、ニューヨークでの開業は特に厳しいチャレンジになります。 賃貸料は高く、また地元の人たちに加えて観光客もお客さんとしてひきつける必要があります。
また新規参入組はあまり好意的なレビューを書かれないという傾向もあり、さらにはニューヨーク市内には約24,000ものレストランがあり、その競争に打ち勝っていかなくてはいけないのです。
1974年、ファイアマンさんはレストラン第二号の「カフェ・フィオレロ」をセントラルパークの近くにオープンしました。 こちらでも「ヒップ・ベーグル」と同じく、おもてなしにフォーカスしました。
その後ファイアマンさんがオープンしていくレストランでは、おもてなしは共通のテーマとして受け継がれていきました。 ファイアマンさんによれば、お客さんたちは食べたものよりも、そこでどんな気分になったかを思い出してくれるものだからです。
「誰にでもお気に入りのピザがある。これが最高のピザですよなんて誰に言えるんだい?」
「しかし、そこで受けたおもてなしは覚えていてくれるもんなんだ」。
ファイアマンさんは経営するレストランのタイプをいろいろと変えてきましたが、そのすべてに共通する特徴があります。
どのレストランも大型で、それぞれに際立ったコンセプトがあります。金額は高めですが、必ずしも近所の競合するほかのレストランと足並みをそろえているわけではありません。各レストランが多くのお客さんをひきつけることが出来る立地に大きく依存しています。
2010年、ファイアマンさんは初めてニューヨークの外にレストランをオープンしました。ステーキハウス「ボンド45」というもので、ワシントンDCの郊外にあります。 毎週、世界各国から様々なビジネスリーダーがお客さんとしてやって来ます。
投資家からの出資
ファイアマンさんはあまり有名人たちと一緒に働くことに前向きではありませんが、財務面でのサポートや経営面でのアドバイスには投資家たちの協力が必要です。
1992年、あの有名なカーネギーホールの正面に「トラットリア・デラルテ」をオープンする際、彼は初めて投資家からの資金援助を受けました。
これ以来、彼は新しいプロジェクトのたびに外部からの出資を受け入れるようになりました。出資者には10~15%の所有権を譲っています。
「投資家たちは素晴らしい存在だ。しかし彼らの批判を聴く耳を持たなくてはいけない」とファイアマンさんはいいます。
しかし、ファイアマンさんは率直な物言いをする人です。彼にに対して異を唱えるには、それなりの準備が必要です。
トラットリア・デラルテの前マネージャーは、もしファイアマンさんに対して反論するつもりなら、その根拠となるデータで武装したほうがいい、と言っています。
「彼は議論を交わし合うのが大好きです。もしデータを用意しておかないと、彼はあなたをやっつけてしまうでしょう」。
完璧に進めるとは限らない
しかしファイアマンさんもまた、今までのすべてのプロジェクトが成功だったわけではないと認めています。
マンハッタンで開店したレストランで、彼は大きな困難に直面しました。何度もデザインを変更し、店名も変え、メニューのアップデートを行ったにもかかわらず、15年間にわたって赤字が続いてしまったのです。
またドバイに「ブルックリン・ダイナー」というレストランの支店を開いたときも、やはり失敗に終わりました。これは現地の人とパートナーシップを組んで行ったプロジェクトでしたが、そのパートナーがファイアマンさんに約束したクオリティを実現できなかったことが敗因だった、といいます。
「完璧に進むとは限らないんだ。もし間違いの痛手を受ける強さがないのなら、このビジネスはできない」。
また従業員からの批判に直面したこともありました。 おもてなしに重点を置くサービスが「お客様は常に正しい」というスタンスを生み出し、これが時には行き過ぎになることもあるためです。
2006年には給与未払いのために訴訟を起こされたこともありました。このときはファイアマンさんの会社側が390万ドルを支払うことで示談となりました。
飽くなき成功へのハングリー精神
しかしこうしたビジネスの失敗や従業員とのトラブルがあっても、「もっとレストランを開いて新しいコンセプトを試したい」というファイアマンさんの情熱を冷ましてしまうことはありません。
レストラン業界で50年以上活躍をつづけた今、彼はこれまで以上に成功へのハングリーな気持ちが高まっています。
現在カジュアルレストランの新しいアイデアを練っている最中で、これはニューヨークでオープンし、全米に拡大していきたいと考えています。
「このアイデアを考え、改良し、練り上げるたびに、そこに黄金が埋まっているのを発見するんだよ」とファイアマンさんは言っています。