「才能」とはやはり努力のことなのか? それとも・・・?
「才能」とは、一体どういうものなのでしょうか?
誰もが天才と認めるモーツアルトは7歳で姉とともに演奏会に出演し、ヨーロッパ各国で舞台に立っていました。
この姉弟の演奏会はつねに満員で、その収入で家族は生活できたといわれています。
モーツアルトの父親は自分の息子が音楽にとても早い年齢で目覚めたことを察知し、4歳のときから演奏を教え始めました。
さらには作曲の才能も発揮するようになり、その後の活躍は古今東西多くの人たちに知られているとおりです。
このような彼の人生は、生まれつき与えられた才能があると考えなければ説明できないもののように見えます。
【本当に才能だけの賜物?】
私たちは何かを実現しようと取り組むとき、何の障害もなく進めることを想像してしまいます。
そして、その過程で自分に秘められていた才能と呼べるようなものを発見するであろう、と信じてしまっている場合が多いのです。
さらに、その才能を発見しさえすれば、今までもがき苦しんでいたような壁には直面しない、もしくは苦労なく乗り越えられるようになる、と考えがちです。
事実、モーツアルトを7歳が人前で演奏できるような演奏家になったのは、やはり才能のおかげであると考えざるを得ません。
しかし、モーツアルトは当時のほかの音楽学生たちと同じような練習しかしていなかったのに、生まれ持った才能のおかげだけで驚異的な成長を見せたのでしょうか。
【数年にわたる英才教育があった】
モーツアルトの父親は作曲家でもあると同時に、熱心な音楽教師でもありました。
とても厳しい教育をする人で、上述のとおり、モーツアルトに音楽を教えたのもこの父親でした。
モーツアルトは7歳で舞台に立ち始めますが、その前の3年間、この鬼のような父親に厳しい特訓をみっちり受けていたのです。
7歳で姉とともに舞台に立ったモーツアルトは、多くの観客をひきつけました。
しかしこれは幼い二人の可愛らしい子供が上手に演奏するのを、当時の人たちは楽しんでいたに過ぎないのです。
けっしてその演奏技術や表現力が、ヨーロッパのどのプロ演奏家よりも優れていたからではありません。
また、モーツアルトは作曲も早いうちから始めましたが、本当にひとつの楽曲としてものになったのは14歳のときに書いた曲がはじめてであったといわれています。
つまり、4歳で英才教育を受け始めてから10年間の音楽教育を受けた後に、初めてその作曲能力も一人前になったのです。
【タイガー・ウッズの場合】
もう一人の天才の例を見てみましょう。
タイガー・ウッズは12歳のときすでにプロ顔負けのゴルフ・プレーをしていた、といわれています。
しかし、彼の場合も単に「才能」という言葉だけで片付けられないようです。
ウッズの父親もまた、ゴルフを人に教えるのが大好きでした。
そして自分の一人息子にゴルフの英才教育をおこなう決心をします。
ウッズはわずか生後7ヶ月のときに初めてのパターを買い与えられ、2歳になったときには父親と一緒にゴルフを始めていました。
さらに4歳のときにはプロのインストラクターを付け、ゴルフの特訓を開始したのです。
タイガー・ウッズ自身、自分にはゴルフの天性の才能は備わっていなかった、と語っているそうです。
【努力?経験?】
このように見てゆくと、歴史に残る天才たちも、生まれ持った才能の結果というよりは、自分の全てをその目標に打ち込んできたことで偉業を成し遂げたように思えます。
単純にいってしまえば、やはり「汗の量」が人並みでなかった、ということになるでしょう。
しかし、他にも人並みならぬ努力をしている人はたくさんいるのです。
それにもかかわらず、モーツアルトやタイガー・ウッズのようなレベルの成功を成し遂げることなく終わる人がほとんどです。
次に考えられるのが、「経験の量」です。
しかし、単にある仕事を40年間やって来ましたというだけでは、その分野のトップになれないことを見ても分かるように、これも必ずしも天才たちの偉業の説明にはならないようです。
【「量」より「質」】
ある心理学者は、この「才能」とか「天才」と呼ばれるものは汗や経験の「量」ではなく、練習の「質」による、と語っています。
つまり、注ぐことができるエネルギー量も、その対象に取り組める年月の長さも、基本的には人によって大差はないのです。
しかし、その限られたエネルギーと時間をより意識して意図的に使うかによって、生み出せる結果に大きな差が出てくる、というわけです。
やるべきことを決め、それを実行し、その結果に対するフィードバックをチェックし、次の実行でそれを改善する。
これを繰り返すのです。
何を目指すかによってこれを活かす方法は変わってくると思いますが、以下、参考になりそうな例を2つ挙げておきます。
<例1>
サッカー選手二名が、それぞれゴールの練習をしている。
選手Aは自分の蹴ったボールを自分でとりに行き、1投ごとにドリブルして休み、仲間に話しかけ、また投げる。
一方選手Bは、練習に協力してくれる仲間がボールを取ってBに渡してくれる。
この仲間がBの蹴り方をチェックし、各シュートごとの特徴やクセをBに伝えてあげある。
もし練習を始めた時点での技術力が同じだと仮定して、この練習をそれぞれ100時間繰り返した後、どちらの選手がより優れた技術を身に付けることになるか、想像してみましょう。
<例2>
あるライターが、自分の文章力を高めるために考えだし実行している練習方法です。
依頼を受けて書いている記事が週に2本。また、文章教室にも通い、編集者からも絶え間なくフィードバックがあり、それを消化している。
それ以外に、以下の方法を実践。
1. 毎日、自分が目指す作家の記事や本を読む。紙を一枚用意し、各段落ごとの要約を書き付ける。その日はそれで終わりにする。
2. 翌日、その紙を見て、昨日読んだ各段落の内容を思い出し、それを自分自身の言葉であらためて文章に起こす。
3. 書き上げたら、自分の文章とオリジナルの記事や本とを比較し、その作家が自分よりどれほど優れているかをしっかり確認する。
4. 比較して分かったことをノートに書き付け、次回以降どのように直してゆけばいいかを考える。
5. 昨日読んだものについてはそこで終わり、今日はあらためて別の記事や本を見つけ、「1」の作業を行う。
これは簡単な作業ではありません。
時間もかかりますし、自分が目指す作家に比べてどれくらい離れてしまっているかを思い知らされるのは、とてもストレスになります。
しかし、とても効果のある練習方法であることは間違いありません。
(Why Talent is Overrated - And What Will Really Lead To Success — Willpowered)