ドットコム・バブル崩壊を生き抜いたジャン=マリー・エベヤールという投資家
ジャン=マリー・エベヤール氏はフランス出身の国際的な投資家です。
1940年、フランスのポワティエに生まれたエベヤール氏は1962年にソシエテ・ジェネラルに入社しました。
2年後、アメリカにわたり「ソシエテ・ジェネラル・インターナショナル・ファンド」でアナリストとして働き始めます。
1978年にはポートフォリオ・マネージャーに就任し、以来ファンドの運営に携わってきました。
2005年以降はファースト・イーグル・ファンドのシニア・アドバイザーになり、その後もトップ投資家として活躍を続けています。
【ドットコム・バブル崩壊を生き抜いて証明した成功】
1990年代、エベヤール氏は投資において死の恐怖を味わっていました。
彼はドットコムバブルの中、テクノロジー、テレコム、メディアなどの過大評価された企業の株を買うことを拒んできました。
一方、ほかの不注意な投資家たちは、これらの企業の株式を保有することでどんどん儲けていたのです。
エベヤール氏の管理していたファンドは、3年間連続で株式市場の平均から大きく負けていました。
この状況を聞いた投資家たちの反応は「1年目はとても驚き、2年目は怒り出し、3年目には投資を引き上げてしまった」というものでした。
2000年の初頭にはファンドに出資していた投資家の70%が引き上げしまい、ファンドの保有総額は60億ドルから20億ドルにまで減ってしまったのです。
エベヤール氏はヴァリュー投資は「時間を経て実を結ぶもの」と述べています。
同時に、ヴァリュー投資成功の裏には、株式市場の平均価格に負けてしまう時期を耐え忍ばなければいけないことを彼はよく知っていました。
それでもなお、この数年にわたって続いた悲惨な状態は彼の経験したことのないものだったのです。
「実際、人は自分自身を疑い始めるようになります。そして自分以外の誰もが希望を見出しているように見えてくるのです。どうして私には希望が見えてこないのだろうか?と感じ始めます」
エベヤール氏は「自分は愚か者ではないのだろうか?」と考えた日々もあった、と述べています。
実際、ファンドのほかの運営メンバーたちも彼に反対意見を言い始めました。
どうして彼は、IT景気に沸く今の株式市場に乗り遅れたのだろう?
結局、ファンドの親会社であったソシエテ・ジェネラルは、当時59歳だったエベヤール氏を「あいつはもう歳だ」と決め付け、彼のファンドを売り飛ばしてしまったのです。
そして、ITバブルの崩壊が訪れます。
ナスダックは78%下落し、(投資家ならぬ)「投機家」たちは打ちのめされてしまいました。
一方のエベヤール氏は、ソシエテ・ジェネラルから売り飛ばされた自分のファンドを「ファースト・イーグル」と名前を変え、資産総額も1,000億円にまで増やしました。
【日本のバブルや金融危機も乗り越える】
バブルの崩壊に巻き込まれずに成功した秘訣について、彼は「所有しなかったことによって成功した部分が大きい」と語っています。
1988年、多くの投資家が日本株に群がっていた頃、彼はそれまで所有していた日本株を全て売ってしまっていました。
彼の基準に照らしてみると、「安いと思える投資先が日本にはもう見つからなかった」からです。
その結果、当時世界第二位の経済大国だった日本のバブルが崩壊したときも、彼は無傷でいられたのです。
さらに2008年の金融危機でも、彼はやはり無傷で乗り越えることに成功しています。
【語録】
金をコモディティとはみなさず、極端な結果が発生した場合に備えた保険の一形態と考えています。
世界の株式市場が長期間にわたって下落する局面では、ほとんどの場合金の価格は上昇します。
そして株式市場での損失の一部を補ってくれるのです
一般的に、投資の対象にならない国と言うのはほとんどありません。
しかしある国の政府が経済的に、また政治的にあまりに力を持っているようであれば、その国には投資しません。
今日私たちが投資の対象と考えないのは、ロシアです。
もし国外から投資をしてロシア国内に資産を所有したと思っても、プーチン氏がNoと言ってしまえば、その資産があなたのものではなくなってしまうリスクがあるのです
国を特定せずに幅広い地域に投資する「分散投資型ファンド」から発展したものとして「インデックス連動型ファンド」がありますが、私たちはこれを採用しません。
トップ30~40銘柄だけを所有するべきだという意見もありますが、どの投資先がそのトップ30になるのか事前に分かったことが、今まで一度もないのです
持続的に競争できる力がある企業かどうか。
その判断を誤ってしまうと、投資の結果は散々なものになります