私たちは罪悪感を感じる必要のないことにもかかわらず申し訳なく思ってしまうことがある
私たちは、自分が悪くないにもかかわらず、相手に申し訳なく思ってしまうことがよくあります。
これは日本人がすぐ「すみません」と言ってしまうのとはまた別の話です。
相手の目線で物事を考えられる人ほど、相手の感情を想像してしまうため、自分が悪いのではないかというある種の「錯覚」を持ってしまうからです。
以下の例を読んでもし心当たりがある人は、いい意味で「自分を優先する」ことを覚えるようにしたいものです。
自分から人間関係や仕事をやめること
自分から何かをやめる権利は誰にでもあります。長く続いたゴタゴタの人間関係、大して報いのない仕事など、続ける必要がないものはやめていいのです。「やめる」というのはあなたに与えられたれっきとした権利ですから、謝る必要はありません。
失敗に終わった人間関係について
ある恋人や夫婦の関係が終わったとき、まわりにいる人が「だから言ったじゃない、あの人はあなたに合わないって」ということを物知り顔に言うでしょう。そしてあなたは「自分がバカだった」とつい認めてしまうかも知れません。
しかし、あなたには元恋人のいい部分にも気づいていた。だから二人の関係を深めていったのです。
たとえ失敗に終わったとしても、あなたが見込んだ可能性にかけてその人と関係を始めたわけですから、それは誰にも謝る必要などないのです。
自分のお金の使い方
自分のお金をどう使うか、これが自分自身の自由であることは誰でも分かっています。しかし、他人のお金の使い方についてとやかく口を出す人が必ずいます。でも彼らは関係ありません。何を言われても申し訳なく感じる必要などないのです。
他人に合わせて無理に外出する
私たちが外出する理由に「友人が外出するから」というものが意外に多くあります。しかし今日はだるい、興味がない、一人で静かに過ごしたい、そんな日は誰にでもあるものです。そのときは何も無理して友人に合わせる必要はありません。人を喜ばせることはあなたの仕事ではないのです。あなた自身が喜べることをやりましょう。
人の期待に合わせず自分を優先する
残念ながら、まわりにいる人たちのすべてがあなたに親切なわけではありません。あなたがどんなに優しい心の持ち主だとしても、そういう人たちとは一線を画す必要があります。
すると彼らはあなたのことを「冷たい人だ」と文句を言い始めるでしょう。
しかし本当にそうでしょうか?その人が勝手に期待していたほどではなかったというだけのことで、あなたが冷たい人などということにはなりません。 自分を最優先にすることは、悪いことでも何でもないのです。
図に乗って裏切ってきた相手に対して
他人に親切を続けるとそれが当たり前だと勘違いされます。そしてあなたの親切を裏切るようなことをする人も出てくるでしょう。あなたはそれに対して、これ以上親切を続ける必要はないと感じ、今までとは違った接し方をします。すると今度は、あなたが「不親切な人だ」といわれてしまうことになるのです。
こんな時も、もちろん謝る必要などありません。相手はあなたのことを「あいつは変わった。前はあんなじゃなかったのに」というでしょう。それでも、あなたは申し訳なく感じる必要などないのです。