「将来」の準備ばかりしていて、いつまでも幸せな「現在」を得られない人間という生き物

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フランスの哲学者ブレーズ・パスカル(1623~1662)は名著『パンセ』を書き、「人間は考える葦である」などの名言を残したことで知られています。

 

以下の文章も『パンセ』の中に残されているものです。(※分かりやすくするため一部の表現を変えてあります。) 

 

私たちのものの見方・考え方を的確に捉えていて、 ハッとさせられる指摘があるのではないでしょうか。

 

 

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私たちはみんな、今この瞬間を十分に楽しもうとしない傾向があります。

 

現在のことではなく、来たるべき将来のことばかりを考えているのです。

 

また、過去についても同じです。

 

もう過ぎてしまったことなのに、過ぎ去るのが速すぎたように感じて、一生懸命思い出そうとしているのです。

 

しかしこれはあまり利口なことではありません。

 

私たちは、もう自分の手元にはない前後の時間をさまよっているだけで、いま自分の手元にある唯一の時間について少しも考えないのです。

 

また、むなしいことでもあります。

 

私たちは、もう存在しない前後の時間のことに意識を向けてしまうため、いま存在している目の前のただ一つの時間を逃してしまっているのです。

 

これは、「現在」という時間のために私たちが傷ついてしまうことが原因なのです。

 

現在という時間が私たちを悲しませるからなのです。

 

だからこそ、私たちは現在を自分の目の前から隠そうとしてしまうのです。

 

もし現在という時間が楽しいものであれば、それが過ぎ去るのを見て残念がるでしょう。

 

そしてその現在を未来によって支えようと努めるのです。

 

しかし、こうしていつも考えているこの「未来」というものに、私たちが実際に到達するかどうか分からないのです。

 

それにもかかわらず、この未来へ向けて、私たちは自分の力の及ばないことまで何とかコントロールしようともがいています。

 

みなさん、各自で自分の考えを検討してみましょう。

 

そうすると、自分の考えがすべて過去と未来によって独占されてしまっていることに気づくでしょう。

 

私たちは現在についてはほとんど考えないのです。

 

もし考えたとしても、それは未来に対応するための手掛かりを現在から得ようとするときだけなのです。

 

私たちが現在を目的にすることはないのです。

 

過去と現在は私たちにとっては手段であり、ただ未来だけが目的なのです。

 

このように、私たちは決して現在を生きているのではなく、将来生きることを希望しているだけなのです。

 

そして私たちは、幸福になる準備ばかりいつまでもしているのです

 

これでは、実際に幸福になることなど出来なくなってしまうのも致し方のないことです。

 

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私たちはいつも過去に起こった出来事にイライラし、将来予想されることを心配しながら生活しているような気がします。

 

そしてその実態は、ここでパスカルが言っているように「幸福になる準備ばかりいつまでもして」いて、肝心の幸福になることそのものをどんどん先延ばしにしている、ということだと思います。

 

これはきっと、いつの時代のどの国の人も同じだったのかもしれません。

 

だからこそこの名著の中にも記され、今まで古今東西読み継がれてきたのでしょう。

 

人というのは、訪れるかどうか分かりもしない「将来」の準備に追われ、「現在」の幸福を忘れてしまいがちな生き物である、ということを自覚すること。

 

そして、それでもなお「現在のことを考え、今の幸福を感じる」ように意識してゆくこと、が大事になるのだと思います。

 

 

パンセ〈1〉 (中公クラシックス)