アービング・カーン ご長寿株式ブローカーの足跡をたどる
アービング・カーンはニューヨークに生まれました。
ハイスクールを卒業後、大学に進みましたが2年で中退し、ウォールストリートのブローカレッジ会社に株の調査を担当するアシスタントとして就職しました。
それは1929年の大恐慌の数ヶ月前のことでした。
2012年のインタビューでその大恐慌を振り返り、「人々はパニックになっていた。私は、もうたくさんだと思った」と語っています。
「彼らは取引時間中そこいらを走り回り、お互いに怒鳴りあっていた。まるでピエロのようだったよ」
株取引の世界に入ったばかりにもかかわらずこのようなひどい経験をしましたが、それでもカーンはウォールストリートで働き続けました。
そこで彼はベンジャミン・グレアムの名前を耳にします。
グレアムは「バリュー投資の父」と呼ばれており、市場の動きに負けず収益をあげる方法を知っている、と言われていた人物でした。
カーンはウォーレン・バフェットら他の投資家たちとともにグレアムの教えている夜間クラスに出席し、勉強しました。
「財務諸表を分析することで、実際は1ドルの価値のあるにもかかわらず50セントで売られているような株を見つけることが出来る、と言うことを学んだ。ベンジャミン・グレアムはこれを「安全域」と呼んでいた。これは今でもリスク管理において最も重要なコンセプトだ」とカーンは語っています。
1929年6月、それまでアシスタントであったカーンは初めて自分で株取引をしました。
当時株価が上昇していたマグマ・コッパー社の株式50株を300ドルで空売りしたのです。
300ドルは今日の価格で4,000ドルに相当します。
そしてその読みはあたり、株価は下落。 さらに4ヵ月後に株式市場が大暴落したときには、2倍以上の価値となりました。
「私の頭が良かったわけではない。たとえぼんやりした若造でも、投資家たちが実際は投資ではなくギャンブルをしていたという事実を見抜くことは出来たのだ。彼らは借金をし、いい気分になって、たった数ヶ月だけ成功者となることが出来たが、その後どうなったかは見てのとおりだ」
後にリーマン・ブラザーズに買収されたAbraham & Coでパートナーを務めた後、1978年に息子のアラン・カーン、トーマス・カーンとともに「カーン・ブラザーズ」を設立しました。
今日カーン・ブラザーズは10億ドルのファンドをマネージするまでに成長しました。
もっと驚くべきことは、カーンは109歳で亡くなる直前まで、週3回はオフィスに通っていたということです。
「何かしらやらなければいけないことが必ずある。注意深く観察し、想像力を働かせ、柔軟性も忘れない」と言うのがカーンのモットーでした。
長寿のおかげでカーンはウォールストリートで有名になりましたが、同時に世界最高齢の4人兄弟姉妹としても有名でした。
兄のピーターは103歳、姉のヘレンは109歳、同じく姉のレオノアは101歳で、それぞれ亡くなっているのです。
父親の長寿の秘訣について聞かれた息子のトーマス・カーンは「75%は遺伝ですよ。父は健康的な食生活を送っていたわけではないんです。サラダよりチーズバーガーが好きだったし、肉もたくさん食べました。50歳くらいまでタバコも吸っていたんです」と語っています。
(Irving Kahn. World's oldest stockbroker. December 19, 1905 - February 24, 2015. Aged 109)