林業で企業連合を築いたフリードリッヒ・ウェアーハウザー
フリードリッヒ・ウェアーハウザーはドイツ生まれですが、17歳のときにアメリカに移住しました。
彼は当初、イリノイ州の製材所で働き始め、そこで出世してゆき、一部の森林の管理も任されるようになりました。
彼の担当していた森林は繁盛しましたが、会社そのものが倒産の危機に瀕してしまいます。
フリードリッヒは給料を貯金しており、その貯金を資金としてこの会社を買い取りました。
さらに義理の兄弟であるデックマン氏とともに会社を設立し、ほかの林業者たちの持分を買い取って行きました。
後に「ウェアーハウザー・シンジケート」と呼ばれる、いわゆる企業連合を構成していったのです。
100人ほどのパートナーがこの企業連合の中にいたといわれますが、一人ひとりは他のメンバーのことを知らず、フリードリッヒがその中心ですべての状況を把握しているという形を築き上げました。
さらに1872年には「ミシシッピーリヴァー・ブーム&ロギング」という会社を設立し、ミシシッピー川を使って運搬される木材の管理すべてを執り行うようになりました。
1900年、鉄道王ジェームズ・ヒルから森林を買い上げ「ウェアーハウザー・ティンバー・カンパニー」を設立。
これが後に「ウェアーハウザー・カンパニー」となり、現在は世界最大の林業・木材加工の企業です。